周朝時代、晋国に郤缺(げきけつ)と言う人が妻と仲睦まじく暮らしていた。ある日、郤缺が農作業をしていると、妻が食事を届けに来た。彼女は弁当を両手でささげ、恭しく彼に渡すと、郤缺も丁寧に受け取った。
このとき、臼季という大夫(たいふ)※が通りかかり、夫婦の様子を見て感心した。臼季は晋文公(晋国の君主)に面上し、郤缺を下軍大夫に就かせるよう薦めた。晋文公が理由を聞くと、臼季は「郤缺は他人のみならず、自分の妻に対しても、相手を敬うことを忘れません。人を尊敬するのは人徳のある人で、このような徳を備えた人を任用すべきです」と答えた。
その後、臼季の見解が間違っていなかったことが証明された。郤缺は徳で人を従わせ、知と勇を備えていた。箕という場所では軍隊を率い、白狄国の君主を生け捕りにし、功績を立てた。晋襄公(しんじょうこう)は郤缺を公卿に封じ、冀(き)という土地を封土として与えた。
吕坤(りょこん、中国・明代の儒・哲学者)は言った。「夫婦は毎日顔を合わせ、お互いによく知っているのに、郤缺夫婦は一日三度の食事さえ礼儀正しく、お互いに尊敬しあっていて、通行人さえそれを見て羨ましく思った。古くから『夫婦の間でも礼儀を欠かしてはならない』という言葉がある。仲の悪い夫婦、仇のようになった夫婦は、皆礼儀作法を疎かにしていたからだ」
※大夫(たいふ):古代中国における身分呼称のひとつ
(翻訳編集・蘭因)
( 轉載大紀元 )